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2009年10月設置 どこかで入選して、小説家を名乗る日が来ることを夢見つつ


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2011
04,20
21:49
コケにされた日本のロボット
CATEGORY[社会現象]
福島第一原発の放射能汚染現場に、米国アイロボット社製の「パックボット」2台が入り、貴重な動画撮影をして、日本国民に見せてくれた。約800メートル離れた場所からリモコンで遠隔操作でき、4時間の活動が可能だ。アームの長さは約1・8メートル。キャタピラで60度の斜面や階段を登ることができるという。
このロボットが活躍した反面、悲しいことに日本のロボットがコケにされた。

日本のロボットは、一輪車で綱渡りをしたり、音楽に合わせて踊ったり、バイオリンを弾いたりするが、仕事はできないから、アメリカのロボットが助けに行ったと。

ここでのキーワードは、「日本のロボットがコケにされた」のであって、「日本のロボット技術がコケにされた」わけではない。

言いたいことは、この原発内での業務や任務を予め与えてくれれば、日本のロボット技術は、確実に任務をこなしたことだろう。そういうロボットがたくさん作られたはずだ。だが、実際は、日本のロボットたちは、客寄せパンダよろしく一輪車乗り、ダンス、バイオリン弾きしかできなかった。もうひとつ外に出られないロボット群が日本の工場では多数活躍している。たとえば溶接ロボットとか多目的のねじ締めや検査ロボットなど組み立て加工工場内で使われているアーム形ロボットたちだ。アーム型ロボットは熟練加工の技術を習得しているが、歩けないのだ。

どうしてこんな事態になったのか。

政府の方針に問題があったというしかない。
数百年に一度、千年に一度の災害に備える活動をしてこなかったことだ。
民間企業が作るロボットと言えば、経済活動の一環であるしかない。客寄せパンダとして宣伝費を稼ぐか、実務一点張りで働くか、それしか稼ぎようがない。
数百年に一度の災害救助のロボットを作っても、数百年の間に災害が起こらなければ、その企業は倒産してしまう。だから民間では作れないのだ。
作れないのは、経済活動としてできないのであって、技術的には十分な能力を持っている。

こうして、ワークマンロボットと、芸者ロボットしか作ることができなかった日本の政策を今攻められても仕方あるまい。

事業仕分けとか言って、スーパーコンピュータ技術が世界2位ではだめなんですかとか、数百年に一度の洪水のためにスーパー堤防を作るのはいかがなものかと言った蓮舫大臣の発言にも反省を求めることだと思う。

北上大

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2011
04,19
09:42
冬のトマトは撤退
CATEGORY[冬のトマト]
昨年の11月に種をまいて、大きく育ててきたトマト(桃太郎タルト)を切り取った。
失敗だった。
11月に種をまいてから、培養液は、熱帯魚用のヒーターで26℃に加温を続けた。
1、2月は、昼夜エアコンをつけて、室温も20℃程度を維持して、順調に成長した。
高さは、1.5メートルを超えた。

こんなにきれいな花も着けた。

花は、1段だけではなく、5段目まで咲いた。
しかし、エアコンの電気代が高いとクレームがついた。
「1個何万円のトマトを作るつもりなの!」
と、家内からお叱りを受け、室温のエアコン加温を止めたところ、明け方の室温は2℃まで低下した。
さすがに、これではトマトもたまらなかったのだろう。
それでも、成長を続け、花も咲かせたが、結実することはなかった。

4月に入り、園芸店にはトマトの苗が出始めた。
冬のトマトはここであきらめて、切り落として、培養槽は、新株の苗に置き換えた。

写真の左側が「ホーム桃太郎」、右側が「フルーツミニトマト・アイコ」。
さて、夏に向けて順調に成長してくれるか。

北上大

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2011
04,15
15:51
地震のあとは沖に逃げろ
CATEGORY[東日本地震]
相馬の松川浦には、漁船の基地がある。
この震災で多くの船が、陸に打ち上げられて取り残された。

しかし、震災後のgoogle mapを見ると、整然と並んでいる船もいる。

数えてみると、60隻くらい。
陸上から見た写真はこの通り。

なぜこの船は、流されなかったのだろうか、不思議なことだ。

実は、漁師さんたちの中では、「地震のあとは沖に逃げろ」という格言が伝わっているそうだ。
この、整然としている船は、津波が押し寄せてくる前に、沖合いに退避して戻ってきた船なのだ。
分かっていても間に合わなかった人もいたことだろう。
紙一重の差で、天国と地獄。

天災は恐ろしい。

北上大

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2011
04,13
22:41
よみがえれ!大川電機工業所
CATEGORY[東日本地震]
4月2日にボランティアでお手伝いしたのが、有限会社大川電機工業所だった。
社長一人、従業員無しの個人企業だ。

大川電機工業所は、無線屋さんなので、漁業無線の無線機器の販売・修理が本業だ。
だけど、漁師さんたちからは、無線だけに限らず、船内の発電機から集魚灯まで、漁船の中の電気は全部大川電機にお任せと言う状況であり、何でも引き受ける船の電気の便利屋さんである。
漁船から連絡が入る。
「△月○○日に小名浜港に入るから発電機を見てくれ」
軽四輪に修理道具と必要と予想される部品を積み込んで、陸路、小名浜港まで走り、船の到着を待つ。
「気仙沼に入る」と言われれば、気仙沼まで軽四輪で走る。
漁師さんたちにとっては、頼りになる電気屋さんだ。

港の近くにあるので、今回の震災では津波をもろに被り大被害を受けた。我々ボランティア5人が到着した時の事務所の様子がこれだ。

天井が崩れ落ちて、100キロ以上もある重い金庫が中央に転がっているし、機器や書類が散らばって文字通り足の踏み場もない。
この部屋の中にデスクトップが2台、ノートタイプが2台、あわせて4台のパソコンが隠れているのだが、塩水を被っているので使い物にならないだろう。(実際に瓦礫として処分した)
我々は機器(残骸)の搬出を始めようとしたが、足元にどうにも力が入らない。と言うのは、室内全面の床に厚さが20センチにも及ぶヘドロが堆積しているので、滑るのだ。だから、機器搬出の前にスコップでヘドロをかき出して、小さな足場を作ってから運び出す。運び出した隙間のヘドロをかき出して一歩前進という作業の繰り返しだ。
「大川さん、この食器戸棚はどうしますか」
「それはうちのじゃないな、よその家のが流れてきたんだ、処分しよう」
と言うような、混沌とした状態だ。
工場と事務所の裏に住居があるが、住居もこんなに壊されてひどいありさま。

ついでに、隣の家もこんな状態だし

家のすぐ前には、漁船が転がっている。

作業を終えて、からだの泥を洗おうとしたが、まだ水道が出ていない。浜が近いので海の水で長靴や合羽のの泥を洗い落とした。

大川さんは、仕事の傍ら、地域活動にも貢献して来た人だ。
消防団に所属しており、交通指導員として警察にも協力している。

震災当日は、地震の直後から、仕事で使っている軽四輪で走り回り、
「大津波が来るから、高台に避難してください」
と、地域住民に対して警告を発していた。
この声によって命を救われた人もたくさんいたことと思う。
そんな大川さんを津波が襲った。
軽四輪を停めて様子を見ようとしたときに、波は目の前まで押し寄せていた。
何をすることもできず、見ていると、目の前の軽四輪がみるみる間に水に埋まっていく。車体の三分の一ほどまで水に浸ったときに、このまま流されるのかとあきらめたが、水の勢いはそこまでで水位が下がっていった。
「流されなかった」
エンジンをかけてみたら、自動車が動いた。
周りは瓦礫の山だが、動ける足があることが幸いして、それから4日間、我が家の状況を顧みずに消防団活動に従事した。
さすがに、心身ともに疲れ果てて、しばらく東京の知人宅に避難した。
奥さんと今度高校に入るお嬢さんも無事で東京に避難。
さて、相馬ではガソリンが手に入らないと聞いて、専用の携行缶にガソリンを詰めて東京から家に帰ってみたら、上の写真のようなありさまだった。
自宅の再建をしたいのでと、しばらく消防団から離れて、まず片付けをしよう。
避難所には入らず、アパートを借りて、そこから通いながら再建を目指す。
そんな決意を固めたところで、お手伝いを頼まれたのが、私たちボランティアだった。

偉そうに救援に行ったつもりだったが、とんでもない。
逆に大川さんの元気に励まされた。明るいキャラクターで、逆境を跳ね飛ばしてよみがえる力を持っている。
「大川さん、この書類どうしますか。泥だらけで読めないけど」
「許可証とか、認定証とか、ま、大事っちゃぁ大事だけど、津波で流されたって言えばしょうがねぇだろう、ははは」って。
「あの書類がなくなったら、今後の商売ができない、どうしよう、メソメソメソ」とはならない人だ。
「ぐちゃぐちゃになった家だけど、建物が残っただけでもありがたい。建てたときは、こんなに頑丈にしなくてもと思ったけど、今はありがたいよ。だけど、まだ、ローンが残ってんだよなぁ。この先どうなんのかなぁ」
修理用の電気部品を収めた部品棚が泥の中から掘り出された。
「大川さん、この部品どうしますか」
「全部新品だけど、塩水を被った部品をお客さんに使うわけにはいかねぇだろう、全部廃棄!」と、当たり前のことかもしれないけど、理性的な判断をする。
こんな状況なら、洗えば使える物もあるんじゃないかと思うのが人情だろう。

不安もあるだろう、困難もあるだろう。
「今は、目の前に片付けという仕事があるから、気を張っていられるけど、一段落したら何にもできなくなるんじゃないかと不安だよ」
正直にそう言っていたけど、大川さん、あなたはよみがえる。
相馬市尾浜再興の旗頭になる力を持っている人だ。
明るいキャラクターで、周囲を引っ張っていってくれると思う。

よみがえれ! 大川電機工業所。 相馬の漁船に灯をともすんだ。

応援しています。

北上大

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2011
04,11
18:24
相馬市の被害(陸上の船と海中のバス)
CATEGORY[東日本地震]
相馬市の被害で、目に付くのは、陸上に打ち上げられた船の数だ。

浜辺の近くだけではなく、道路の上にも多数の船が打ち上げられている。

屋根の上にのっかてしまったのもいる。

そうかと思うと、海に投げ出されたマイクロバス。

いったいどうやって修復するのだろうか。
気が遠くなるような、作業量と費用だろう。

北上大

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2011
04,10
23:18
相馬市の被害(晴風荘)
CATEGORY[東日本地震]
相馬市の東の端に松川浦という内海がある。
周囲を堤防で囲まれており、波が静かなので、海苔の養殖が行われていた。
この松川浦に面したところに「晴風荘」という旅館があった。
窓から見下ろすとすぐ前が海で、海風の香りを感じながら海岸を散歩するのも風流だし、海の幸をこれでもかというほどふんだんに盛り付けた料理が名物で、美味しくてしかもボリュームがあるので人気があった。
わたしは父に連れられて一回だけ行ったのだが、そのとき同行した妻は大変気に入って、自分の母親を連れて再訪したほどである。
現在の晴風荘の写真がこれである。
(写真の晴風荘の文字が間違っています。ごめんなさい)

鉄筋コンクリートの建物は残っているものの、一階部分は完全に水没して窓は割れ、内部は滅茶苦茶で什器備品の類は使い物にならないだろう。
周辺の木造住宅はすべて流されて瓦礫の山だし、道路も通っておらず孤立していた。
(私が訪れたときには、ショベルカーで道路中央を開けて、車一台がやっと通れた)
従業員たちは(おそらく客もいたことと思うが)屋上に逃れて、全員無事だったそうだ。
googleマップで見ると、晴風荘の東側1.2kmにある堤防の一部が決壊して、その上を走っていた道路は今はない。

決壊した部分(幅およそ200メートル)から流入した津波は、晴風荘周囲を流し去り、その先に続く田んぼを一飲みにした。
決壊部分を地上から見ると、こんな風に千切れている。

なんという破壊力だろう。
堤防の上には、防風林として密集した松林があったが、現在では、歯が欠けた櫛のような状態だ。


根こそぎ引き抜かれた松の木が田んぼの中に点々としている、信じられない光景が残された。塩水に侵された田んぼは、当分の間使い物にならないだろう。
わかりにくいけど、googleの写真を添付する。
黒い小さなポツポツが転がっている松の木だ。

この田んぼの泥が、周囲の家に流入して、20センチもの高さに積もって、払い出す(泥かき)のが大仕事だった。

北上大

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2011
04,10
10:03
相馬市の被害(どさん子)
CATEGORY[東日本地震]
相馬市の津波の被害はひどい。
南三陸町のように津波にさらわれて、瓦礫の山になっている光景が一番ひどいのだが、あまりにも何もないので却ってひどさが伝わらないかもしれない。

原型をとどめている写真のほうが被害状況を把握しやすいのではないか。
これは、ラーメン屋どさん子のお店の写真だ。
まず場所だが、googleマップの画像で右上に「どさん子」とあるのを確認して欲しい。

このお店が、こうなっている。
営業再開どころの状況ではないことがわかるだろう。

もう一枚、この近くだが、船につぶされた軽自動車。

ひどい状況だ。

北上大

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2011
04,10
09:55
また落選しました
CATEGORY[自分のこと]
小説宝石新人賞に応募していた作品の落選が確実になりました。
正式発表は5月に発売される雑誌に掲載されるのですが、3月号に最終候補作5点が示されており、それに入っていなかったので落選が確実と言うわけです。
今回のは、100枚以内の短編でキレの良いストーリー展開が求められました。自分としては中々の出来だと思っていたのですが、最終候補にさえ入れませんでした。
小説なんて好き嫌いのあるものだから、著名な作家が匿名で応募しても必ずしも受賞できるとは限りません。だけど何回か繰り返せば必ず選ばれる日が来るでしょう。
さて、これで応募中の持ち駒がなくなったので、今書いている作品が次の勝負です。
締切は7月25日、500枚の長編です。
昨日、空からこぼれ落ちるようにストーリーのアイディアが湧いて来ましたから、書く気満々です。

作家家業も厳しいな。(非課税所得者から脱却しなくちゃ)

北上大

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2011
04,09
09:44
パソコンが壊れた
CATEGORY[電気デジもの]
2009年11月に買ったパソコンが壊れた。
症状は、Windows7が不安定になり、しばしば全画面がブルーになってリセットされることが繰り返された。購入時の状態に戻そうとシステムリカバリをかけた。ハードディスクのシステムリカバリ領域から起動するのだが、完了できずに終わってしまう。何回やっても同じことだ。結局Windowsが起動できない状態になってしまった。
サポートセンターに電話して、ハードディスクの自己診断をしたが異常なしの結果だった。
(サポセンの女性が片言の日本語なので、そこは中国の大連かと聞いたらそうだと。久しぶりに大連の中国人の日本語を聞いて懐かしく感じた)
懐かしさはともかくハードディスク以外の物理的な故障が疑われる。
1年以内なら保証期間なので無償修理だが、1年4ヶ月過ぎているので、有償になるという。
修理センターに修理を依頼すれば修理費だけで良いが、見積もり金額を聞いて修理を拒否すると、診断料として4200円が請求される。
このまま捨てるわけにもいかず、仕方ないから送料1000円をかけて修理センターに送った。
5日後にきた見積金額を見てびっくり、修理代金は5万6千円だと言う。10万円程度で買ったパソコンの1年4ヶ月後の修理代が購入金額の半額以上というのは驚く。
パソコンは集積度が高いので、昔のラジオのように焼けた抵抗器やコンデンサを半田ごてで交換するようなことはできない。悪い部分を探してその部分を丸ごと交換するしかないのだ。この場合は、システムボードの交換だというから、ケースやディスプレイなどの周辺を残して、基本部分を丸ごと交換することになる。
5万円もかけるなら新しいのが買えるんじゃないかと調べた結果、修理を止めて別のパソコンを買うことにした。
仕様は下に書くが、性能は少し良くなると思う。

以下、旧パソコン:新パソコン→注釈 の順で規格や数値を示す。
メーカー HP:ACER
品名 TouchSmart tx2:Aspire AS5742-F52D/K
液晶サイズ 12.1(1280*800)タッチパネル:15.6(1366*768) →モバイルサイズから卓上型ノートサイズに
CPU AMD Turion ZM-85(2.3GHz):INTEL Core i5 480M(2.66GHz) →第2世代には及ばないがCore i5なので、Core2Duoと競ったTurionより性能アップが期待できる
メモリ 4GB(DDR2 PC2-6400):2GB(DDR3 PC3-8500) →互換性なし、4GB(4000円程度)増設を計画中
OS Windows7 Home Premium:Windows7 Home Premium →変わらず
HDD 250GB(7200rpm):500GB(5400rpm) →容量が2倍だけど回転数が遅い、どうなんだろう?
ドライブ DVDマルチドライブ:DVDマルチドライブ →変わらず
無線LAN 11b/g:11b/g/n →高速規格に対応している
寸法 308*245*45:381*253*34 →大きくなっているが薄い
重量 2.0Kg:2.6Kg →大きい分だけ重くなるが許容範囲か
電池駆動時間 3.0Hrs:3.5Hrs →30分延長だが誤差範囲
紹介サイト TouchSmartTx2:Aspire5742

以上のSPECを見れば、TouchSmartはモバイルを意識した小型設計で、Aspireは卓上型ノートの位置づけだと言うことが分かるはずだ。
小型にすることと、タッチパネル採用で若干コストアップになることは理解できるが、総合性能はAspireの方が良い。それが、修理代金よりも安いのだからだれだってこっちを選ぶだろう。
そもそも、TouchSmartのタッチパネルは応答が遅くて使いモノにならなかった。iPadのスムースさを知ってからは触る気にもなれなかったし、モバイルと言うにはバッテリー駆動時間が短くて使いづらかった。
せめてメモリーでも取り外して使おうかと思ったが、DDR2は一世代前なのでAspireのDDR3とは互換性がないので使えない。
Aspireの実装メモリは2GBなので、4GB増設しようかと思って値段を調べたら、DDR3 4MBでも4千円くらいで買える。しかしメモリ増設をメーカーは認めていないので、取り付けカバーのネジの上に張り付けられたメーカー保証シールを破かなければならない、禁断の技であることが分かった。特にグラフィックの厳しい使い方をするわけでもないし、スピードを求めるゲームをするわけでもないので、保証期間の1年間はこのまま様子を見てみようかと思う。

富士通とかNECとか国産メーカーでないことを心配する人もいるだろうが、今やパソコンは、SPECを比較すればメーカー間の差はないと言って良い。だから、中国製のLenovoだろうが、台湾製のASUSだろうが、Mouseコンピュータだろうがどこでも良い。
ただし、デザインや色にこだわる人は、ブランドもおしゃれの一部と割り切ってファッション費用としてソニーやパナソニックを選ぶのも良いだろう。
パナソニックの耐久性強化モバイルや10時間を越える駆動時間など数字で示される性能は、ファッションではなく、SPECとして評価するのは当然のことだ。

北上大

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2011
04,07
20:46
生き死にが挨拶になっている悲惨さ
CATEGORY[東日本地震]
ボランティア活動をしているときに目にした光景だ。

震災後、初めて路上で出会った初老のご婦人二人。

「あらぁ、和枝さんじゃないの、生きていたんだねぇ」
「あんたも生きていたんだ、良かったねぇ」
「良かった、良かった」
 二人で抱き合って、涙を流している。
 いったん離れてから
「旦那さんはどうなの、無事かい?」
「とうちゃんもせがれも助かったよ。だけど嫁の花子は行っちまった」
「花ちゃんはあっちさ行ったのか?」
「うん、あの日、先に行っちまったんだぁ」
「花ちゃん、いねのか、もう」
「……」
声にならず、もう一度抱き合う、おばあさん二人。

横で聞いていて、こちらも泣きそうになった。
こんな悲しい挨拶を何回も交わしたことだろう。
瓦礫の山を見るよりも悲惨さが伝わってくる。
(人名はすべて仮名です。 実際の会話は相馬の現地の言葉なのでわかりにくいため、標準語っぽく改めました。原文は、下の「相馬弁はこちら」をクリックしてください)

北上大

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▼相馬弁はこちら
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2011
04,05
09:57
災害ボランティア@相馬
CATEGORY[東日本地震]
テニス合宿に行ったつもりの「つもり募金」をした。
ノジマのポイントを義援金に換えた。
でも、まだ何か出来るんじゃないか。
小説家とは言っても、時間はどうにでもなる、年金生活者。
そうだ、災害ボランティアに参加しよう。と言うわけで、相馬市の災害ボランティアに参加してきた。
津波被害というと、陸前高田市と南三陸町が取り上げられるが、相馬市の沿岸地域でも悲惨な状況になっている。

原釜地区ではこんな有様だし、グーグルマップの最新画像では

松川浦漁協の周囲に、丘に打ち上げられた漁船が散らばっていることがわかる。

相馬市災害ボランティアセンターに行ってみたら、受付前から多くのボランティアが並んでいた。
どんな人が参加しているのか?
茶髪に染めている女の子が、ボランティアに参加しているのが不思議な感じがしたが、見かけのファッションとは関係なく、人の役に立ちたいという気持ちは一緒だった。高校生が多く参加しているのを見て、日本もまだまだ捨てたもんじゃないなと思う。ちょっとうれしかった。
私は定年退職した高齢ボランティの代表だと思っていたが、上には上がいるもので、白髪を丸髷に結い老体に鞭打って参加した72歳の男性もいた。60歳なんかまだまだ若い。彼は一回りも上だもの。
どこから来るのか?
埼玉からはるばる出かけていくと自負していたが、とんでもない。埼玉なんか当たり前で、東京から、神奈川から、長野からという人たちとであった。
4月のはじめには、福島県内よりも県外からのボランティアのほうが多くなったそうだ。
どうやって時間を作ったんだろう?
年金暮らしの私は時間が自由だが、ほかの人たちはどうして時間を作るんだろうと何人かに聞いてみた。
・会社の制度を利用して5日間のボランティア休暇をとった。
・自営業(大工さん、運送業)なので、仕事の都合をつけて時間を作った。
・学校が被災して授業がないのでボランティアに参加した。
・仙台の会社が被災して仕事がなくなったので、時間が出来た。
被災して、避難所からボランティアに参加している人もいた。

活動の様子は、別の記事にまとめる。

北上大

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